大判例

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最高裁判所第三小法廷 昭和42年(オ)305号 判決 1967年10月31日

上告人

株式会社宮堂商店

右代表者

宮堂政美

右代理人

岩田源七

被上告人

田辺梅雄

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人岩田源七の上告理由第一点について。

所論の点に関する原審の認定・判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして正当として肯認することができ、原判決には所論の違法はなく、論旨は理由がない。

同第二点について。

原判決は名古屋市の「騒音防止に関する指導基準」のみならず、その他原判決が確定した諸事実ならびに挙示の証拠に基づいて、被上告人において受忍すべき騒音の程度を判断しているものであるから、右判断に所論の違法はない。それゆえ論旨は理由がない。

同第三点について。

所論は、実質は原審の専権に属する証拠の取捨判断を非難するものであり、原判決には所論の違法はない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(田中二郎 下村三郎 松本正雄)

【参考】 原審判決理由

(名古屋高等昭和三九年(ネ)第八五九号、慰藉料等請求等控訴事件・昭和四〇年(ネ)第九五号附帯控訴事件、昭和四一年一二月一二日第二部判決)

一 当裁判所も、原審が説示する如く、昭和三五年六月中旬頃以降遅くとも昭和三九年七月二六日頃までの間における控訴人の本件工場内の機械から発した騒音(作業音)は、社会生活上一般に受忍すべき限度を超え被控訴人の居住の静穏を侵害した違法なものであり、これを防止しなかつた控訴人の過失は免れないものと判断し、その理由は、次のとおり附加訂正するほかはこの点に関する原判決の理由記載を引用する。

(一) 原判決七枚目表四行目、同枚目裏三行目及び五行目に「素毛機」とあるを、いずれも「梳毛機」と訂正する。

(二) 名古屋市においては、昭和二九年一二月一日同市における騒音を可能な限り抑制し、又は防止することにより市民生活の静穏を図ることを目的とした「騒音防止に関する指導基準」が定められ、同市を第一種区域から第四種区域に分つて音量の一般的ないし特別基準を定め以て音量を制限するための行政指導が実施されているのであるから、右音量の基準は、他に特段の事由なき限り、右各地区に居住する住民として社会生活上一般に受忍すべき音量の客観的基準というに妨げない。しかるところ、「証拠」によると、本件工場の所在する地域は、右基準の第二種区域(商業地域のうち別に定める区域)に該当するので、その制限音量は一般的には六五ホン以下、病院及び学校等の周辺における特別基準は六〇ホン以下であることが認められるのであるが、原判決理由二記載の事実関係に、<証拠>をも彼此対比するときは、被控訴人において受忍すべき騒音の程度は五五ホン程度となすのが相当である。

そして、<証拠>及び弁論の全趣旨を総合すると、遅くとも昭和三九年七月二六日頃には本件工場北側の壁に原審認定の如きモルタルの防音壁が設備されたことが認められる。ところで、<各証拠>を彼此総合すると、前同日頃以前の騒音は右限度をはるかに超過していたことが明白であるが、昭和三九年七月二七日以降の音量は、いずれにせよ、被控訴人の受忍の限度内にあるものと認められ、これに反するが如く窺われる当審における被控訴人本人尋問の結果は前掲各証拠と対比して採用し難く、被控訴人が当審で提出した甲号各証を以てしても右認定を覆すに足りない。尤も、前記の当審鑑定の結果によれば、昭和四〇年一〇月八日及び同年一一月二二日における被控訴人住宅玄関人口における本件工場の騒音は五七ホンないし六四ホンであつたことが認められるが、当審における被控訴人本人尋問の結果及び当審検証の結果を総合すると、被控訴人は原判決言渡後の昭和三九年一二月頃、従前の住宅の南に接続して建物を新築したため(右新築の点は被控訴人の自認するところである)、右玄関は被控訴人居宅のうちで最も本件工場に近接した部分であることが認められるうえ、右測定値自体の不安定性誤差率等を参酌し、かつ、右玄関入口の戸を閉じた場合の玄関内の音量は最低四四ホン最高五六ホンである事実に徴すると、右鑑定の結果のあることは、未だ、上記認定の妨げとはならない。この点に関する被控訴人主張事実は採用できない。次に、本件各証拠によると、本件工場内に設置されある梳毛機は、被控訴人主張の如く二台同時に操作されることもあり得ることが認められるとはいえ、通常は一台ずつ操作されているものと認めるのが相当であるから、この点も、前記認定をなすの妨げとはならないのである。

してみると、控訴人は被控訴人に対し、被控訴人が昭和三五年六月中降昭和三十九年七月二六日頃までの間、居住の平穏を侵害されたことにより蒙つた肉体的精神的苦痛に対する慰藉料を支払う義務があるものというべきところ、原判決認定の如き諸般の事情を斟酌較量すると、その慰藉料は原審認容の金九万八七三三円(昭和三五年六月中旬から昭和三八年五月末日までは金七万一〇〇〇円、同年六月一日から昭和三九年七月二六日頃までは金二万七七三三円)とするのが相当である。

一 次に、被控訴人の附帯控訴及び当審拡張請求について検討する。

当審も、被控訴人の除害設備設置を求める請求は、原審と同様の見解により、結局、失当たるものと判断するから、この点に関する原判決理由記載を引用する。

また、その余の慰藉料請求部分はすべて理由なきこと前項に説示したところで自ら明らかであるから、該請求部分は失当として棄却すべきであるが、控訴人は被控訴人に対し昭和三八年六月一日以降の慰藉料債務金二万七七三三円を負担していること前叙のとおりである以上、右金員に対し被控訴人の求める昭和四一年一一月八日以降民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務のあること勿論である。

三 叙上の如く、原判決は相当であつて本件控訴及び附帯控訴はともに理由がなく、被控訴人の当審請求については前記遅延損害金の支払を求める部分は正当としてこれを認容すべきであるが、その余は失当として棄却すべく、<後略>(県 宏 越川純吉 可知鴻平)

【参考】 第一審判決理由

(名古屋地方昭和三八年(ワ)第一、一七一号、慰藉料等請求事件、昭和三九年一一月三〇日民事一部判決)

一≪省略≫

二そこで被告の右工場操業により発する作業音・振動(以下「騒音等」という。)は社会生活上の受忍義務を超え、そのために原告は住居の平穏を乱され、大きな精神的苦痛(損害)を蒙つている旨の主張について検討するに、

(一) 先ず右騒音等による侵害がどの程度に達したときに社会生活上受忍すべき限度を超えた――即ち違法性を帯びる――ものというべきかであるか、それは原・被告両当事者間の具体的事情を基礎とし、一般社会通念に従つて決する外ないところ、<証拠>によると、原告は昭和三〇年から現住居に居住し、愛知県中村警察署に勤務している巡査であり、一日置きに一昼夜勤務についているので一日置きに非番で自宅におり、その勤務明けの際にはそれが昼間であつても二〜三時間程度の睡眠をとることが不可欠であり、その妻は昭和三五〜六年頃から胸をわずらい、昭和三八年九月からは腎炎にかゝり病院に入院したり、通つたりして治療をうけている病人にして安息を要し、又二人の子供は幼くこれに与える影響も無視し難いこと、そしてこの事情は被告においても知つていたものと見られること、被告の右騒音等を発する工場は昭和三五年六月中旬頃以来操業が続けられて来ており、その騒音等は(その高低は同じではないが)午前八時三〇分頃から昼休の一時間を除き午後六時から七時頃までほゞ継続して発せられることがそれぞれ認められ、こうした事実に<証拠>により認められるところの、名古屋市においては昭和二九年一二月一日騒音防止に関する指導基準が定められ、これに基いて行政上の指導が行なわれており、工場の作業音も又この騒音にあたることおよび本件工場の所在する場所附近は右基準によると商業地域のうち別に定める区域にあたり、その制限音量は音源(本件でいうと工場の建物)の至近距離において六五ホン以内と定められていること、なお右基準には病院・授業中の学校の周辺においては右より五ホンを減じた音量を基準と定めていること、本件騒音等を発するのは前記のとおり昼間に限られることを合せると、原告において受忍すべき騒音等の程度(原告において日常生活を営んでいる家屋内に響いてくる騒音の程度)は原告居住家屋の最も音源に近い場所において五五ホン程度をもつて限度とし、これを超えるときは違法性を帯び不法行為を構成するものと解するのが相当である。

(二) ところで被告の右工場操業による騒音の程度であるが、(1)<証拠>からすると、被告は昭和三七年六月中旬から右工場において操業して来たが、その操業開始当時はこれより生ずる騒音等もかなり大きく、そのために原告を含む近隣居住者より、その騒音第および操業時間について苦情が出たこと、そこで被告は一番大きな騒音等を発する右工場の一番東側に備付けてある梳毛機一台の運転を一時中止してこれを改造し、その後一年ほどかけて全機械の改造をし、昭和三五年暮頃から昭和三六年二月頃までにかけて従前ガラス窓であつた北側の窓をふさぎ壁を塗りかえ天井を抜き、昭和三六年中には防音壁を設け、昭和三九年七月二五〜六日には工場北側の側壁にモルタルを塗り、操業時間も午前八時三〇分から一時間の昼休をおき午後六時まで、多忙なときでも七時までとしたことがそれぞれ認められる。(2)しかしながら右工場より発する騒音は、昭和三八年六月一一日当時において、<証拠>によると、音源の至近距離である工場東側道路において、前記指導基準をはるかに超えた七八ホン、なお工場の一番東側に備えつけてある梳毛機を稼働しない状態で原告方玄関入口のところでさえ六六ホン、玄関を入り戸を閉めたところで五八ホンであること、従つて右梳毛機の稼働されるときは、それが右工場において最も騒音を発するものであること(このことは被告代表者本人尋問の結果から明らかである。)からしてその音量はより高いものであることが推認される。もつとも、昭和三九年七月二七日現在では、名古屋市衛生研究所による鑑定の結果によると、右工場東側道路において六〇〜六二ホン(B特性)、原告方玄関入口のところで五五〜五七ホン(B特性)、玄関入つたところで(戸は開放したまゝ)五一〜五三ホン(B特性)であることが明らかである(この両時点における相違は前認定のように後者の測定の直前に工場北側の外壁がモルタル塗りとされたことに基くものと推認される。)(3)右(1)および(2)において認定した事実からすると、昭和三八年六月一〇日以前においても、少くとも同月一一日当時と同一、或はそれ以上の騒音が被告の工場より発せられていたことが推認される。(4)そして<証拠―略>前記事情にある原告は右騒音等により安眠および精神の安定を妨げられ充分の休息をとることの出来ない場合のあつたことおよびその妻も安息を害されることがあり、かつその幼い子供に与える影響の懸念などこれらも結局において又原告に精神的負担を与えるものであつたことをそれぞれ認めることが出来る。

(三)以上の事実によると、被告方工場の操業の開始された昭和三五年六月中旬から右工場北側の壁にモルタルが塗られ騒音の程度が減少した昭和三九年七月二六日までの間における被告方工場から発する騒音は、原告においてこれを受忍すべき範囲を超えて前記のように原告の住居の平穏を乱し、精神的苦痛(損害)を与えたものにして違法なものというべく、被告はその間これを防止しなかつたことにつき少くとも過失があるというべきである。しかしながら昭和三九年七月二七日以後については、原告およびその妻子らの特殊な生活が専ら家屋内で営まれるものであり、その家屋内に達する騒音の程度は右に認定したとおり最も工場に近いところで五一〜五三ホン(B特性)程度であることから、その騒音は原告においてこれを受忍すべき範囲のものである。

三してみると、被告は原告が昭和三五年六月中旬から昭和三九年七月二六日までの間に住居の平穏を侵害されたことによつて蒙つた精神的苦痛に対する賠償として慰藉料を支払う義務があるものというべきであるところ、前に認定した原告の職業、それに家族の状況、本件の場所附近が商業地域であること、侵害の期間および一日のうちの侵害時間(被告代表者本人尋問の結果によると、それは昼間に限られ、かつ被告方工場の機械は全部が同時に操作されるものではなく、ロープ紐の製造工程を追つて順次運転されるものであること、従つて高度の騒音が間断なく続けられるというものではないことが認められる。)ならびにその程度(その程度は前に認定したとおりであり、<証拠>からすると、とくに戸障子を開放させる時期を除いてはそれほど大きいものではないことが明らかである。)等諸般の事情を斟酌して、昭和三五年六月中旬から昭和三八年五月三一日までの慰藉料額は合計七一、〇〇〇円、同年六月一日から昭和三九年七月二六日までの慰藉料額は二七、七三三円(いずれも月額二、〇〇〇円)をもつて相当と認める。

四なお原告は右騒音防止の措置として、被告に対し別紙目録記載の工場の北側の外壁および屋根を二寸以上のセメント壁をもつて被覆し、かつ明りとり部分に厚さ二分以上のガラス板を設置することを求めているが、前認定のように、被告において右工場北側の外壁をモルタル塗としたことにより既にその騒音の程度は原告において受忍すべき限度にまで低下しているものであるから、原告のかゝる請求は理由がない。(川坂二郎)

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